2015年06月05日
皆さん、こんにちは。
今日は親睦旅行2日目。
朝は少しゆっくり、9時半に宿を出発ということで、6時半に起床し
7時から朝食をとって、出発までの1時間半で、金華山の頂上にそびえ立つ
岐阜城に登ってきました。岐阜城は、斎藤道三の死後、織田信長が約9年間
居城としました。金華山は、340mほどの山なのですが、それでも下から
登ると1時間くらいかかります。戦国時代は、城を攻め落とすのに、登っていたかと
思うと、便利な世の中になったものです。ロープウエイで3分です。ロープウエイを
降りて城までは、そこそこの登り坂を15分程度でした。織田信長は、城下町の井ノ口を
岐阜と改め、楽市楽座を認め、天下布武の朱印を使い、天下統一の第一歩となったのが
この岐阜城です。ただし、今のお城は、レプリカですので、形はお城ですが、鉄筋コンクリート
でできています。お城からの眺めは最高です。
何とか9時20分ごろ、宿に戻りました。今回宿泊したお宿は「十八楼」さんです。
なんと江戸時代に創業し、現在150年の老舗旅館です。お風呂も食事も最高でした。
また、1688年にかの松尾芭蕉が、
「このあたり 目に見えるものは みな涼し」という俳句を長良川を見ながら
詠んでいます。私たちが、このような句を読んでも「ふつうやん」って突っ込まれそうですが
そこは芭蕉。奥深さがあるのでしょう。
そして、お宿を後にして、次の目的地、犬山城に向かいます。
犬山城は、その当時のまま残っているお城で、国宝に指定されています。
犬山城は、織田信長の叔父、織田信康が築城したと伝えられています。
しかし江戸時代初期にかけて城主はめまぐるしく変わりました。
さすが国宝、朝一に行った岐阜城とは観光客の数が違います。
また、見てください、この梁。太さが半端ないです。昔の人はすごいです。
今みたいに重機のない時代に、よく作ったものです。
天守閣から見た景色です。
また、お城までの途中に「三光稲荷神社」があります。
別名「倍返し神社」と言われています。
ここでお金を洗うと、倍になってかえってくるご利益があるそうです。
皆さん、一生懸命お金を洗っていました。そして城下町を散策し、
犬山城をあとにしました。
旅行最後の食事は、なんと目の前で焼いてくれる鉄板焼きです。
目の前で炎があがるあれです。
いまこの記事は、帰りのバスの車中で書いています。
とても充実した旅行となりました。
この旅行でしか会わない方もいらっしゃるので、いろいろな
情報交換ができていいですね。
今回参加してくださった皆様、本当にありがとうございます。
いま、最後のあいさつで、谷本副会長から来年の旅行のアナウンスが
ありました。来年も城を見に行くそうです。
そして最後に、今回車中をとても盛り上げてくれたガイドさんから
涙涙のお別れの挨拶があり、無事旅行も終了となりました。
皆様お疲れ様でした。